管理人コメント
日本の学生の学習能力低下が言われて久しいですが、日本と中国の高校卒業者の数学能力に関してレポートしたいと思います。
百マス計算、日本の方にはお馴染みだと思いますが”百マス計算”で検索して頂ければその概要は分かると思います。結論から言いますと、中国人高卒者の方が日本人高卒者よりも数倍優れていると言うことです。
人事関係の仕事をしていましたので。中国人研修生選抜と新卒高校生(日本人)の選抜を昨年まで担当していました。日本人と中国人に対して同じ「百マス計算(加減乗除400問)」を出題したのですが、その結果は、中国人平均:8分30秒正解率95%、日本人平均:21分10秒正解率78%と明らかな差が出ました。最高得点に関しては大差は有りませんでした。
来日直後の中国人研修生を坐学研修の一貫で街中を案内していたとき、「今日はお祭りですか?」と研修生から質問がありました、午後3時過ぎのことです。日本の小学校は概ね午後3時に授業が終わり帰宅する子たちが多く、その様子を見てのことです。
私は研修生の質問の意図が分からないまま、「今日はお祭りでも何でもないです」と答えると「何でこんなに早く帰宅するのですか?」と聞かれたのです。
うん!と思い、どういうことなのか聞いてみると、中国の小学校は朝7時から夕方5時〜6時まで授業があり(各県によって異なる)、中学校では自習も含めると朝6時〜夜8時、高校生は基本的に寮制で夜10時頃まで勉強しているそうです。
日本と中国の教育制度の差が「百マス計算」の結果に顕われていると感じてしまいました。
管理人
百マス計算、日本の方にはお馴染みだと思いますが”百マス計算”で検索して頂ければその概要は分かると思います。結論から言いますと、中国人高卒者の方が日本人高卒者よりも数倍優れていると言うことです。
人事関係の仕事をしていましたので。中国人研修生選抜と新卒高校生(日本人)の選抜を昨年まで担当していました。日本人と中国人に対して同じ「百マス計算(加減乗除400問)」を出題したのですが、その結果は、中国人平均:8分30秒正解率95%、日本人平均:21分10秒正解率78%と明らかな差が出ました。最高得点に関しては大差は有りませんでした。
来日直後の中国人研修生を坐学研修の一貫で街中を案内していたとき、「今日はお祭りですか?」と研修生から質問がありました、午後3時過ぎのことです。日本の小学校は概ね午後3時に授業が終わり帰宅する子たちが多く、その様子を見てのことです。
私は研修生の質問の意図が分からないまま、「今日はお祭りでも何でもないです」と答えると「何でこんなに早く帰宅するのですか?」と聞かれたのです。
うん!と思い、どういうことなのか聞いてみると、中国の小学校は朝7時から夕方5時〜6時まで授業があり(各県によって異なる)、中学校では自習も含めると朝6時〜夜8時、高校生は基本的に寮制で夜10時頃まで勉強しているそうです。
日本と中国の教育制度の差が「百マス計算」の結果に顕われていると感じてしまいました。
管理人
中国と日本 ニュース
中国と日本のかかわりに関して興味深い記事がありましたので、転載します(管理人)。
吉林人民出版社で雑誌「日本文学」の副編集長を務める李長声氏はこのほど、中国文化を懸命に吸収した古代日本が、宦官を導入しなかったことをテーマにする論説を発表した。「中国人は尊敬の気持ちを持つ」と評価し、その理由を考察した。多くのニュースサイトや個人のブログが同論説を転載した。
李氏はまず、「古代日本は中国から多くを学習した。そのため、日本文化には中国文化に似た点が多い。しかし、日本文化には独自の点も多い。例えば宦官だ。日本には存在しない。なぜだろう?」と書き起こした。
論説は、「中国人も、宦官をよく思っていない。導入しなかった日本人に、尊敬の気持ちを感じざるをえない」と主張。「日本は、あえて導入しなかったのではなく、文化的に中国のすべてを導入するまでには、成熟していなかった可能性がある」と論じ、それでも日本にとって幸いだったことは事実とした。
日本文化が「成熟していなかった」こととして、具体的には牧畜文化の希薄さを挙げた。日本は義和団の変に対応するため、1900年に8カ国連合軍の一員として中国に出兵した際、欧米の軍から初めて軍馬の去勢を教わったことを紹介。文化人類学者の石田栄一郎氏の「日本に伝わらなかったり、普及しなかった大陸の文化の多くは、牧畜文化に直接・間接にかかわるものだ」との言葉を引用した。
また、「人間に対する去勢はもともと、征服民族が被征服民族に対して行う手段だった」との、別の日本人学者の見方を紹介し、「異民族との接触が少なく、征服・被征服の歴史がなかった日本では宦官を生み出す決定的条件はなく、後になり仏教文化の影響も強まり、この残酷な手法を用いる可能性は、なおさらなくなった」と論じた。
なお、一般的な歴史観で、宦官は常に陰謀をめぐらした「悪の存在」とされるが、宦官を一方的に非難する論調には行き過ぎもあると考えられている。宮廷で宦官と勢力争いをしたのは、主に科挙に合格して立身出世した官僚で、文筆に長じた彼らは、「敵」である宦官をことさら悪く書いたからだ。
論説も史記を著した司馬遷、紙を発明した蔡倫、アフリカまでに及ぶ大航海を行った鄭和など、宦官には偉人もいたとして、国家の衰退をもたらした人間性のない存在との見方には、偏見もあると論じた。
※管理人コメント
100%納得では有りませんが、中々鋭い視点だと思います。確かに宦官は制度としては日本に導入されていません。似たような状況はあるものの、根本的な違いは去勢の有無です。
吉林人民出版社で雑誌「日本文学」の副編集長を務める李長声氏はこのほど、中国文化を懸命に吸収した古代日本が、宦官を導入しなかったことをテーマにする論説を発表した。「中国人は尊敬の気持ちを持つ」と評価し、その理由を考察した。多くのニュースサイトや個人のブログが同論説を転載した。
李氏はまず、「古代日本は中国から多くを学習した。そのため、日本文化には中国文化に似た点が多い。しかし、日本文化には独自の点も多い。例えば宦官だ。日本には存在しない。なぜだろう?」と書き起こした。
論説は、「中国人も、宦官をよく思っていない。導入しなかった日本人に、尊敬の気持ちを感じざるをえない」と主張。「日本は、あえて導入しなかったのではなく、文化的に中国のすべてを導入するまでには、成熟していなかった可能性がある」と論じ、それでも日本にとって幸いだったことは事実とした。
日本文化が「成熟していなかった」こととして、具体的には牧畜文化の希薄さを挙げた。日本は義和団の変に対応するため、1900年に8カ国連合軍の一員として中国に出兵した際、欧米の軍から初めて軍馬の去勢を教わったことを紹介。文化人類学者の石田栄一郎氏の「日本に伝わらなかったり、普及しなかった大陸の文化の多くは、牧畜文化に直接・間接にかかわるものだ」との言葉を引用した。
また、「人間に対する去勢はもともと、征服民族が被征服民族に対して行う手段だった」との、別の日本人学者の見方を紹介し、「異民族との接触が少なく、征服・被征服の歴史がなかった日本では宦官を生み出す決定的条件はなく、後になり仏教文化の影響も強まり、この残酷な手法を用いる可能性は、なおさらなくなった」と論じた。
なお、一般的な歴史観で、宦官は常に陰謀をめぐらした「悪の存在」とされるが、宦官を一方的に非難する論調には行き過ぎもあると考えられている。宮廷で宦官と勢力争いをしたのは、主に科挙に合格して立身出世した官僚で、文筆に長じた彼らは、「敵」である宦官をことさら悪く書いたからだ。
論説も史記を著した司馬遷、紙を発明した蔡倫、アフリカまでに及ぶ大航海を行った鄭和など、宦官には偉人もいたとして、国家の衰退をもたらした人間性のない存在との見方には、偏見もあると論じた。
※管理人コメント
100%納得では有りませんが、中々鋭い視点だと思います。確かに宦官は制度としては日本に導入されていません。似たような状況はあるものの、根本的な違いは去勢の有無です。
中国と日本 ニュース
うどんのルーツは中国ではなく、日本だった?――うどんは、日本で独自にできた食べ物とする新説を、伝承料理研究家の奥村彪生(あやお)さん(71)が30年がかりの現地調査でまとめた。これまで、うどんは漢字表記の変化などから、中国のワンタンが原型というのが有力な説だった。
ワンタンの中国表記である「コントン」のコンは、食へんに「昆」と書き、トンは饂飩(うどん)の飩。だが、コンを食へんに「軍」と書くことがあり、ウントン、ウンドンとも読む。これが読みの同じ温飩になり、饂飩に変わった――。この説は、昭和初期の中国研究者・故青木正児(まさる)京都大教授が「饂飩の歴史」という論文で発表し、広まった。
だが、奥村さんはこの説に疑問を持ち、中国の二十数都市でめん料理を現地調査した。日本の文献にあるめん料理の製法とも比べた。
その結果、中国には、めんを湯につけて温め、付け汁につけて食べる、うどん本来の食べ方がなかったという。「饂」という漢字も中国にはない。また、平安時代の日本の文献には「コントン」という食べ物があったが、肉のあんを小麦の皮で包んだもので、うどんとは似ていなかった。うどんを示すと考えられる表記が日本の文献に初めて登場するのは南北朝時代で、カタカナで「ウトム」とあった。
これらの結果から、奥村さんは、うどんは中国から伝わった「切り麦」から日本独自に進化したと推測。切り麦はいまの冷や麦で、細いので湯につけるとのびやすい。うどんは、温めて食べる専用の太いめんとして生み出された可能性が高いと結論付けた。
日本うどん学会長の佃昌道高松大教授によると、うどんの起源は中国説が有力だが、いつ、どんな形で入ってきたのか、諸説あるという。讃岐うどんは、空海が中国から持ち帰ったという俗説もある。
中国のめんの歴史に詳しい石毛直道国立民族学博物館名誉教授は「これまでの研究ではないほど、関連する文献をよく調べ、中国各地でも実地調査をしている。妥当な説だと思う」としている。
朝日新聞より
中国で麺は面と表現し、小麦粉で作る食品全般を表しています。ですから餃子も面、饅頭も面(中国の饅頭は日本の饅頭とは趣が異なり、小麦粉を練り酵母で発酵させて蒸したもので餡は無く具の無い中華饅頭のようなもので、オカズと一緒に食べる)である(管理人)。
ワンタンの中国表記である「コントン」のコンは、食へんに「昆」と書き、トンは饂飩(うどん)の飩。だが、コンを食へんに「軍」と書くことがあり、ウントン、ウンドンとも読む。これが読みの同じ温飩になり、饂飩に変わった――。この説は、昭和初期の中国研究者・故青木正児(まさる)京都大教授が「饂飩の歴史」という論文で発表し、広まった。
だが、奥村さんはこの説に疑問を持ち、中国の二十数都市でめん料理を現地調査した。日本の文献にあるめん料理の製法とも比べた。
その結果、中国には、めんを湯につけて温め、付け汁につけて食べる、うどん本来の食べ方がなかったという。「饂」という漢字も中国にはない。また、平安時代の日本の文献には「コントン」という食べ物があったが、肉のあんを小麦の皮で包んだもので、うどんとは似ていなかった。うどんを示すと考えられる表記が日本の文献に初めて登場するのは南北朝時代で、カタカナで「ウトム」とあった。
これらの結果から、奥村さんは、うどんは中国から伝わった「切り麦」から日本独自に進化したと推測。切り麦はいまの冷や麦で、細いので湯につけるとのびやすい。うどんは、温めて食べる専用の太いめんとして生み出された可能性が高いと結論付けた。
日本うどん学会長の佃昌道高松大教授によると、うどんの起源は中国説が有力だが、いつ、どんな形で入ってきたのか、諸説あるという。讃岐うどんは、空海が中国から持ち帰ったという俗説もある。
中国のめんの歴史に詳しい石毛直道国立民族学博物館名誉教授は「これまでの研究ではないほど、関連する文献をよく調べ、中国各地でも実地調査をしている。妥当な説だと思う」としている。
朝日新聞より
中国で麺は面と表現し、小麦粉で作る食品全般を表しています。ですから餃子も面、饅頭も面(中国の饅頭は日本の饅頭とは趣が異なり、小麦粉を練り酵母で発酵させて蒸したもので餡は無く具の無い中華饅頭のようなもので、オカズと一緒に食べる)である(管理人)。

