中国から見た中国と日本の違い

トップページ中国と日本、靖国神社をめぐる意識の違い中国と日本、相手の文化を自分の色眼鏡で見る2

中国と日本、靖国神社をめぐる意識の違い

 日本人はいくら罪深い人でもその命で償いさえすれば終わりだと思っているらしい。

 日本人は、その人が亡くなるとともに罪も清算されたと考え、もう問わなくなる。神社では亡くなった人が神になり、現在の人々を加護するように祈るという。

 反対に中国人の考えでは、悪いものは悪いもので、犯した罪も永遠に消えないのだ。神道においては、罪とは神の摂理(みはかり)に背くものであり、滅亡を意味する。罪を犯した人間は、自らの命を差し出して罪の償いをしなければならないといわれている。それがゆえに、東京裁判において、Å級戦犯として有罪判決を受けた日本国の政府の指導者たちは、絞首刑あるいは終身禁固刑に処せられ、罪の償いは終わった。しかし、国家としての償いは別である。

 日本の戦犯たちは、自らの命で罪をあがない、彼らの魂は澄みて清らかかなる、天来の姿に戻ることができたのだと見ている人が多いわけである。したがって、彼らの御霊(みたま)を靖国神社に祀ることは、別に問題もないと思ったわけである。
 そのような意識に理由づけされている一般の日本人は、中国や韓国の靖国参拝に関する再三の指摘にたいし、反感を感じるようになるわけである。また、一部のマスコミによる色眼鏡の見方を右翼に利用され、煽れば煽るほど反発が強くなり、よけいに参拝するという悪循環に嵌っていく。

 それに対して、中国人は靖国神社に一般の人が参拝することは、なにも問題にしないが。国家責任者が総理大臣の身分で参拝することは、政治的に特別な意味があるように見ているわけである。千万単位で中国人を殺害した悪人に、自国のために功績を立てたと褒め称えているように見受けられている。

 主観的の目的は色々な功利的・政治的なもにやらそうでないかも知れないが、自国文化の罪意識に支えられている一般の中国や韓国の人々は、色眼鏡のせいでそんなに細かく見分けられなく、ただ自分を傷つける部分を拡大し、錯覚を生じる部分も出たわけである。しかし、国家神道や天皇制によって日本全国が軍国主義の道に導かれた、日本近代歴史を振る返ると、「不寒面慄」の脅威を覚えるのも理解できるであろう。
 
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