たとえば、なぜ、日本人の生活で合理性の強い洋式が一般化しているのか。又同時に、なぜ、和服、洋食、和室なども代々受け継がれて、現在でも多く使われているのか(将来でも使われて行きそうである)。なぜ、日本文化は和洋折衷の物が多くあるのに対して、全く「洋」に取って代わる物が少ないのであろうか。
それを理解するには、日本社会と日本人の生活が西洋文明に推し進められて、近代化した歴史と、日本人の国民性を考察しなければならないと思う。
まず歴史的に考えてみると、日本人の衣生活は西洋文化の流入と近代化に伴って曲りなりに変わってきた。しかし、変わる過程や変わり方がかんり東洋的であるとともに、また中国と比べ、かなり日本的である点が興味深い。まず変わる過程をながめると、洋服導入期と洋服着用期、軍服・国民服期とアメリカンファション期と分けられる。この過程は日本の伝統的な生活様式の制限から一歩踏み出すのに、かなり時間がかかった。
開国(明治以前)から始まり、大正年間になっても「日常生活では多くの場合、和服が主流」(南博:「日本生活文化辞典」1986年)であった。もし明治政府の「服制」と戦時政府の「国民服令」が下されなければ、また1923年の関東大震災による衣服の紛失がなければ、西洋文化の流入は更に時間がかかったであろう。
また、日本人の衣分化の変遷については、ある日本人の洋服デザイナーの話が興味深い。「西洋服は立体感が強いのに対して、和服は平板(平面的なもの)である。中国服は立体感と平面感を混ぜ合わせものである。」注1ということである。そういった服の様式はそれぞれの生活分化によるところが大きい。
中国の衣服の様式は北方の「浸」注2、南方の「ベッド」のような住居方式に適したもので、西洋のそれとかなり共通性があり、立体感の強い洋服に親和性があるので、容易に取って代わられるし、改造されやすいのである。それに対して日本の「畳」に適しているのは平板で、だぶついた日本の着物で、立体的な西洋服は、それに取って代わるのが難しいのである。それで産業化した作業場や事務室に向く「西洋文化」を採り入れ、仕事場と家庭でそれぞれ「着物」文化と同居するようになったのである。
注
1)ファッション・デザイナー丸尾尚代氏が中国鄭州で行われた講演による
2)中国北部の農村の寝室に土レンガで作ったオンドル
それを理解するには、日本社会と日本人の生活が西洋文明に推し進められて、近代化した歴史と、日本人の国民性を考察しなければならないと思う。
まず歴史的に考えてみると、日本人の衣生活は西洋文化の流入と近代化に伴って曲りなりに変わってきた。しかし、変わる過程や変わり方がかんり東洋的であるとともに、また中国と比べ、かなり日本的である点が興味深い。まず変わる過程をながめると、洋服導入期と洋服着用期、軍服・国民服期とアメリカンファション期と分けられる。この過程は日本の伝統的な生活様式の制限から一歩踏み出すのに、かなり時間がかかった。
開国(明治以前)から始まり、大正年間になっても「日常生活では多くの場合、和服が主流」(南博:「日本生活文化辞典」1986年)であった。もし明治政府の「服制」と戦時政府の「国民服令」が下されなければ、また1923年の関東大震災による衣服の紛失がなければ、西洋文化の流入は更に時間がかかったであろう。
また、日本人の衣分化の変遷については、ある日本人の洋服デザイナーの話が興味深い。「西洋服は立体感が強いのに対して、和服は平板(平面的なもの)である。中国服は立体感と平面感を混ぜ合わせものである。」注1ということである。そういった服の様式はそれぞれの生活分化によるところが大きい。
中国の衣服の様式は北方の「浸」注2、南方の「ベッド」のような住居方式に適したもので、西洋のそれとかなり共通性があり、立体感の強い洋服に親和性があるので、容易に取って代わられるし、改造されやすいのである。それに対して日本の「畳」に適しているのは平板で、だぶついた日本の着物で、立体的な西洋服は、それに取って代わるのが難しいのである。それで産業化した作業場や事務室に向く「西洋文化」を採り入れ、仕事場と家庭でそれぞれ「着物」文化と同居するようになったのである。
注
1)ファッション・デザイナー丸尾尚代氏が中国鄭州で行われた講演による
2)中国北部の農村の寝室に土レンガで作ったオンドル
トラックバックURL
この記事にコメントする





