衣・食・住からみた日本人の「和洋折衷」王鉄橋教授
先進的栄養学の知識と実用性に対する理解によって、明治以降、特に戦後、洋食特にインスタント食品がたくさん作られ、日本の食卓の一部を占めるようになったのである。
また、日本の住文化も西洋文化の流入と近代化に伴ってだいぶ変わってきたが、しかし、住文化は、衣食住の中で、最も変わりにくいものである。なぜかと言えば四つの原因があると南氏が指摘している。
第一に、経済的な制約がある。第二に、耐用期間が長いことである。長く使われるものだから、意識的に古い様式を伝え残そうと言う考えも働いている。第三に、風土との結びつきである。日本人は自然にあるものが好きで、それを信頼している心理がある。第四に、社会的規範と結びついている事である。明治維新当時の日本社会では接客の座敷(客間)や、座式による礼儀作法とかや、社会的な禁忌、身分や格式による制約が多かったことで、住文化を変えにくくしていたのである。
これらの原因の為か、1872年に、日本政府が東京大震災を機に、銀座レンガ街という洋式住宅を建設したが、入居者は案外少なかった。戦災による破壊で、やっと西洋の住文化が盛んになってきたのである。住文化が変わってきたなかで、和洋折衷の形式が定着していった具合である。
現在の日本を見ると、日本人の生活は実に多種多様なものとなって、いわゆる複合的な文化体系となっている。大きく分けて言うと、日本の土着文化、中国文化および西洋文化の三つがある。
それらをお互いに調和させながら、それぞれの価値が利用されているのである。つまり「和洋折衷」の生活様式であると言えよう。
●この稿は、表題「中国から見た中国と日本の違い」の「違い」に関しての既述がありませんが、中国との関わりを考えるとき、王鉄橋教授がどのように「日本文化」を考察されているかを知ることは重要だと思います。

王鉄橋教授の居住する河南省鄭州市の
鄭州大学旧校舎南門
また、日本の住文化も西洋文化の流入と近代化に伴ってだいぶ変わってきたが、しかし、住文化は、衣食住の中で、最も変わりにくいものである。なぜかと言えば四つの原因があると南氏が指摘している。
第一に、経済的な制約がある。第二に、耐用期間が長いことである。長く使われるものだから、意識的に古い様式を伝え残そうと言う考えも働いている。第三に、風土との結びつきである。日本人は自然にあるものが好きで、それを信頼している心理がある。第四に、社会的規範と結びついている事である。明治維新当時の日本社会では接客の座敷(客間)や、座式による礼儀作法とかや、社会的な禁忌、身分や格式による制約が多かったことで、住文化を変えにくくしていたのである。
これらの原因の為か、1872年に、日本政府が東京大震災を機に、銀座レンガ街という洋式住宅を建設したが、入居者は案外少なかった。戦災による破壊で、やっと西洋の住文化が盛んになってきたのである。住文化が変わってきたなかで、和洋折衷の形式が定着していった具合である。
現在の日本を見ると、日本人の生活は実に多種多様なものとなって、いわゆる複合的な文化体系となっている。大きく分けて言うと、日本の土着文化、中国文化および西洋文化の三つがある。
それらをお互いに調和させながら、それぞれの価値が利用されているのである。つまり「和洋折衷」の生活様式であると言えよう。
●この稿は、表題「中国から見た中国と日本の違い」の「違い」に関しての既述がありませんが、中国との関わりを考えるとき、王鉄橋教授がどのように「日本文化」を考察されているかを知ることは重要だと思います。

鄭州大学旧校舎南門
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